労働。作業を職業に結び付けられるか。反面、就職活動自体のスキル。

こんばんは。

前回はかなりやさぐれていたようで、申し訳ありませんでした。

昨今の自分の動向を振り返ると、どう考えてもいわゆる「躁状態」傾向であることは否めません。

周りにもご迷惑をおかけすることも多いとは思います。本当に申し訳ない。

とは言え、自分がこれを御することもなかなかそれこそスキルが必要であるだろうに、これが自分の自分に課した人生の障壁であるという皮肉になっています。

 

さて。

 

相変わらずコンプライアンス意識でしたためなければならんので、個人情報を始め施設を特定するにも能わぬ情報しか出せませんが。

 

現在2週目、私の通う就労支援施設は作業中心になっております。

私はそれが非常に重要だと決めて現在そこに通っている訳です。

何らかの症状や事情で作業自体が難しくなっている方もいるでしょうし、そこはそれなりにクリアできているけど他の部分で困難があったりとか様々な人達がこういう施設にいると考えていただきたい。

そういうところに通うようになって改めて感じたのは、私自身も仕事がままならなくなった以前に、きっとそれ以前の前提がままならなくなっていたろう、ってことなのです。

 

最近の特に民間の同様施設の中では社会スキルをとかパソコンスキルを、とか打ち出しているところも多いようなんですが、仕事というのは意識が全てにモノをいうので、そこを立て直さなければどうにもならんよなと。

 

忸怩たる思いで私自身も認めなければならないところですが、それを見失うに至る過程は様々でしょう。

ただ、障がい者であれなんであれ雇う方は戦力としてみなしています。

それが意味するのは「仕事」を「仕事」して理解して受け入れてやれるのかどうか、この人は?という点であることはやぶさかではないと考えます。

重ねて言いますよ。私自身もそれを見失った経緯があります。

 

でもね。

幸いなことに私は些細な作業も仕事として消化してきた経緯もあるからか、今ある内職的な作業労働もあまり苦にはならないんです。

単純作業が苦手じゃないという部分もありますが、一言言わなければいけないのはお仕事って「言われたことだけやっておけばいい」ことじゃないことをまだ私は、私の奥の方では忘れていなかったんだなという実感でした。

 

これは障害がどうという話に限ったことではないことは承知で偉そうに言う様で心苦しいですけど、多くの求職者が自分が認められる仕事や価値を感じる仕事やよりクリエイティブな仕事やパソコンでデスクワークや、なんてイメージするかも知れないけど、成果物が出来上がるまでの過程に物凄く地味な工程がいくつもいくつもあることは少なくとも何等かのお仕事に従事されている方はご理解のことでしょう。

ただ一つ私のケースなどで言うとそれを「見失う」っつーのもあるんです。精神障害なんかは特に。

それは時に辛いことでもあったりします。

「これは何のために誰のためにやっているのか。」

これが判らなくなるのはお仕事をするにあたって、結構致命的です。

少なくとも「自分のため」ということだけでも失わなければどうにかなる、んだけど。

それすら失うこともある。

 

で。

 

作業です。

単純作業です。

昔それこそ精神を病んでしまった先輩に聞いたんですけど、彼が務めていた会社の経営者さんが「切手貼るのも意味を見出して楽しんで仕事できるかどうか」みたいなことを言ったと聞いてなるほどと感心していたけど、結果その先輩は精神を病んでしまいました。

 

会社に入ってこう言われたことがある方がいるかも知れません。

「仕事なんか自分で見つけるもの」

「そんなこと自分で考えろ」

だったら会社に入らず起業独立しませんか?(笑)

まあそれは一理あるから極論ですけど。

 

なんか散漫になって来たので。

表題について言うと作業がままならないあるいは、プロセスの問題、コミュニケーションの問題、様々あると思いますが「作業」を通して仕事が成立するということを体感することを(初めての方は)覚える、(経験者は)取り戻す。

ここが重要だと感じています。

作業の延長が仕事であり、その継続性を保てるスキルを職業と言う。

 

あと注意しなければいけないのは「出来ないことがダメ」じゃないということをどこまで受け入れられるのか、ということもあると考えます。

ひとりで仕事をしてる訳じゃないんだからねえ。その件は別の機会に言及するかも知れません。

 

そして表題の後半ですが、長くなっちゃったので次回以降に譲ります。

 

では、サッカー観ないで早めに寝ますね。(笑)

おやすみなさい。