神様、仏様、「受容と共感」様。

こんばんは。

 

もうね、このひと月近く位ずっと体調悪くて。

急性前立腺炎とそれを抑える抗生物質とで、よく判らないくらい身体的に疲弊していたらしく。事と次第によっちゃ入院一歩手前だってばさドクターの危惧したのは。

それくらい歳を取ると身体は若い時ほど無理が効かないということですね。

まあ、いいっしょ。近況はこれくらいで。

 

今日はいつもにまして漠然とした話になりそうで申し訳ないんですけど。

表題です。

 

「受容と共感」

この言葉自体も特別に解説のあるリンクは貼りません。読んで字の如し。

カウンセリングの技法であるところの「傾聴」や、コミュニケーションのトレーニング心理療法であるところのSST(もう説明しませんよ?)とかでもよく聞かれる言葉です。

 

受容と共感、って言葉にすればー♪簡単ですが…

これが出来れば大概のことは許せる、と思いませんか?

 

たとえば、別にカウンセラーでなくても

「うんうんわかるかわるそれでそれで?」

みたいな傾聴めいたことはあるでしょう。表現が雑ですけど。判りやすく。

 

判る訳がない。

 

だから困る。本当は実生活、実際の社会関係でストレスを感じるのはそこだと。

 

私はこの用語、目標とか理想としてはいいと思います。

でも神様のアガペーじゃないんだから、本当に受容できますか?って。

結論から言うと俗世の存在としての人間は、出来なくても当たり前でいいんだと考えています。

これ、みんな出来ましょうって方がムリゲーだから。

 

じゃあこの言葉、どう消化あるいは昇華すればよいだろうと考えます。

これはあくまでも私の現時点での印象論です。

「ダメなときゃダメよ。でもイイ時もある。ムカつく時もあろうけど結果オーライで」

くらいなニュアンスでしか、評価できません。俗世の人間としては。

 

受容と共感。

良い言葉ですよ。でも上から目線で言ってくれるな。

みんな必死でムカつくことをこらえて理解して行こうとしてるんであれば。

それすら放棄するのであれば、コミュニケーションのへったくれもないってことだろ?

 

念のため言っておきますが、これはこのブログにおける特化した「精神疾患」の話に限ったことではなく「人間関係」全般のことだと思っています。

 

許すことほど難しいことはないよ。意外と。

 

じゃあね。おやすみなさい。