開け心。「嫌い」の訳は我にあり。

こんばんは。

 

今日いつもは比較的「苦手だなあ」と思ってた方と普通に話をしてました。

ここ重要です。

 

当たり前のことを言いますが、世の中にはいろんな人がいますよね。

その中でも「苦手だなあ」とかむしろ積極的に「嫌いだなあ」と感じる人もいると思います。そのこと自体は自然だとも思います。

 

でももし世界の全員が少しでも分かり合おうとする姿勢を示せたらどうなるでしょうか。

 

突然理想主義的な言い方で恐縮です。

ただ私の今いる環境というのが、そこにいる人が皆「コミュニケーションを取ることについて努力している」なあという環境だと改めて感じる訳です。

 

再度言います。世の中にはいろんな人がいます。

苦手な人もね。

では、その苦手とか嫌いを決めているのは誰?自分ですね。

私はまだ認知行動療法ソーシャルスキルストレーニングも道半ばであります。

そして私の今の環境が特殊であることも考慮しなければなりません。

そこには若干のヒエラルキーもあるかも知れませんが、最終的にはなんらかの弱った状態でいらっしゃる方が多いこともあり、かつ利害関係はありません。あるとすれば立場とか方向性とか目指す目的とか、そういうことくらいです。

 

私は改めて今おかれているこの環境が「学びの場」であることを確信しました。

 

もし何か人間関係とか社会関係とかで悩んでいることがあるのであれば、考えてみてください。

それを嫌だとか嫌いだとかいう気持ちがあるのなら、きっとその半分は自分にあります。確実に。

 

選ぶのも自分、捨てるのも自分。

嫌うのも自分、愛すのも自分。

 

嫌な気分でいたいですか?そしてそれは人のせいですか?

結局自分なんですよね。

 

でも最後に一つだけ意地悪を言うとするならば、この問答は堂々巡りでもあるのですよね。

 

宗教とかだとよくいうでしょ?「許し」とかって。

意外と許せない自分にも遭遇する。それがきっと人間だったり。

業って深いからね。

 

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じゃ、おやすみなさい。

以上です。