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感性を取り戻すためのプロセス。私のアイドル、ジャコとシドと。

こんばんは。

 

唐突ですが陶芸ってのは存外時間のかかるもので、たった二つ練り上げた器に3か月がけでようやく釉薬をつけるに至って。(親父ギャグではないぞ)

まあいいです。

 

最近、七宝焼もそうですがようやく手で物を作る快感というのを説明抜きに取り戻しつつあるような感触を覚えてきました。

 

で。

自分の感性や仕事や生活の劣化がいつから始まったのか、もちろん鬱を発症してから難しくなったのは判りますが劇的に難しくなったのは多分数年前から始まっていたのかも知れないけれど、正確にはよく判りません。

折々にそれを救済すべき動きもあったとは思います。でも、根本的にはままならなかったのは、それはやはり病というか障害というレベルに至る道程だったと言わざる得ないことでしょう。

 

時に私と同じとか似通った疾患を得ていたと言われる、私の敬愛する音楽や文学領域の表現者たちがいたことを私も知っています。

大成した人も破たんした人もいます。

特に音楽で言うならジャコ・パストリアスシド・バレット

ちなみに参考までにウィキペディア情報で申し訳ありませんが。

ジャコ・パストリアス - Wikipedia

シド・バレット - Wikipedia

 

この二人の特筆すべき点は、ミュージシャンでありがちな薬で死んだタイプではないことです。

もちろんこの二人は私にとっての大ヒーローで私なんか及びもつかない才能の持ち主であることは自明なんですが、あんなに豊潤であった才能を病気によって失ってしまった存在です。

二者の在りようはもちろん少し違っています。

 

ジャコは結局酒や薬ってのはあったようですが、死因は出鱈目やってたあげくの傷害から脳挫傷からの植物人間で親父があきらめたという。

シドはもう全然ダメになって表現者としてダメになっても生き続けて精神障碍者として生きて死んだという。

 

彼らは私の中ではミュージシャンとして超絶カッコよかったんだけど、人間としてはかなり超絶ダメな形で死んでいったんですよね。シドはまだマシなのかな?

 

今日のテーマは感性。

感性を失う事態が時として訪れます。精神障害というのはそういうことをはらんでいるようです。上記二人の例を出すまでもなく。

 

だけど今日は精神疾患がどうたらというお話はむしろしません。

 

もちろん超絶的な感性が受け取る側に何かを喚起してくれることはあるでしょう。

でももっともっと大切なことは生き物として生きていくことに基づく「感性」ということが大切なのかと思う次第で。

 

私はもっと若い時は少し勘違いをしていた節もありまして、芸術として重要なら社会生活なんてどうでもいいだろう、とかいう極論まで。

だからこの二人にも憧れていたのかも知れないです。

 

確かに、そういう身を賭する程に表現に捧げた存在は大きい。

でも、私はできれば普通に社会とコミットしてその中で感性を共有できる方がいいなあと、凡才の私は強く思うのです。

 

デイケアのワークで陶芸にも出会いました。もちろん七宝焼にも。

今の私にとっては音楽もそうであれかし、と思っています。

びっくりさせる才能があってもいいけど、私もみんなもできれば等しくでなくてもいいから楽しかった方がいいだろうと。

 

今後の私は不完全なことに恥じないような気がします。

 

タイトルの割には抽象的で印象な話ばかりで失礼しました。

皆さん、いい夜を。

以上です。おやすみなさい。