どこにでもある、ホーム アンド アウェイ。

こんばんは。

 

人はホームにいるときは安心しますね。おおむね。

ホーム、っていってすぐ想像つくのはいいことですね。

 

私は「ホーム」って言われても、あんまり昔からピンとこなくて。

百歩譲って大学時代のサークルの仲間くらいかなあ。

 

ホームのホームは実家ですが、そこは私の育った家ではないのであまりホーム感がないというか。

熊本県で生まれ育ちましたが幼少期の転勤が多かったせいもあり、実はあまりホーム感がないというか。そもそも熊本弁がちゃんと喋れない(笑)

同郷の人に会っても、ざっくり九州って括りでどうにかこうにか共通項を見出すくらいなもんです。

 

まあ、ほぼアウェイでした。私の行く道は。

 

小さくても大きくても所属というか帰属意識というか、あると思うんですが。

それはおうちに帰ればいいお父さんお母さんであっても、通勤中や、仕事中特にお客さきや、お買い物を真剣にしているときとかは、あんまり「ホーム」にいる顔してる方ってお見受けしないなあ、って気が付いて。

 

私はどこへいってもアウェイなもんだから、ちょっとコンビニで買い物したり改札を通り抜けるときも、「ありがとうございます」って意識的にいったりすることがあるんですけど。もちろん余裕がない時はその限りではありませんけど。

 

あ、アウェイでは余裕がないってこと?

 

私、アメリカ人(アメリカで育った人たちのことかな)について、一つだけ強烈に尊敬に値する点があるんですけど、地域差はあると思うんですが基本的に「ソーシャライズド」なところです。

自分がアウェイにいてもアウェイから来た奴でもとりあえずあの社交的な「アメリカ的なあいさつ」ってのは有効な手段だなあ、と感じるのです。

 

そこ行くと、日本って「おもてなし」とか言うにはばかられるくらいシャイすぎるよね。人の事は言えないけども。

 

なんでこんな話をしているのかというととりもなおさず「コミュニケーション」のことを考えてのことです。

 

もっというと、円滑なコミュニケーションを促す要因、阻害する要因について考えています。

 

ホームにあれば安心する。それはわかるね。

ホームを失った、すでに失われている、そもそもアウェイにある状態においては、それをどうしていくのか。

 

どっちも幻想と言えば幻想かも知れません。

ホームだって幾多の障壁を経て築き上げられてきたものだろうし、アウェイに向かうのはまた誰しも必要な旅でしょう。

 

歩いてきた道だけが確か。自分のいるところがホーム。そうなりたいですね。

 

そしてこんな曲。

私にはアウェイをホームに変えるまで頑張るなんて、そんな大それたパワーは今のところ思いつきませんが、勇気づけられる唄です。

www.youtube.com

 

コード進行がサチモスの「トーキョーパーディーナーアイー♪」に似てますが、こっちのが先です!(笑)

 

以上です。