「ルサンチマン」という言葉と、「怒り」という感情について。

こんばんは。

今日は大上段なタイトルをつけてしまい、自分でもビビってしまいます。

なんじゃそれ。まあ、ちょっとチャレンジングに書き進めようかと。

直接デイケアとは関係あるのかな?ないのかな?ありそうなありそうな…

 

今日のデイケアはですね、就労準備というのとSST(ソーシャルスキルトレーニング)でした。どちらも対社会性を意識したメニューになっております。

でも今日はその委細についてはあまり言及しません。関係ないこともないのだけれど。

 

じゃあルサンチマンという言葉の簡単な定義を申し訳ないけどウィキペディア

ルサンチマン - Wikipedia

 

哲学用語ということですがすごく簡単に言えば「社会的弱者が強者に向ける反感」ってことでいいかしら?どうかしら?

で、これこの記述の序盤でも言及されてるけど逆転する場合もある訳ね。

でも「社会的強者」は割と短期間で回避できる的なことを言ってると思う。

この記述でもいろんな哲学者さんの解釈がある通り、割とぐるぐる回りがちな概念でもあることがお分かりいただけると思います。

ちなみにですがこの記述の中で「ロマン主義」ってのも出てきますが、今でこそロマンチックぅー♪とかいうとステキ度が高そうですが、本来のフランス語のニュアンスではかなり「バカにされた」感が高いと聞いたことがあります。ようわからんねw

 

話をもっとフラットにしたいと思います。

 

「むかつく」

 

こういう感情がそのルサンチマンなるものから来るって哲学者の先生たちは仰ってるみたいだね、って理解してみます。

 

そんな難しいことに立ち戻らなくても、って思うかも知れませんけど、例えば人間心理に肉薄する学問が今のところ心理学がチャンピオンだとして、その元はやっぱり哲学だから面白いというか、参考にはなるなと。

 

ここでは社会という概念が持ち込まれていますけど、社会って小さくても大きくても社会なのね。家族だって社会の最小単位とすることもありますね。

立場もモノ・コトによって逆転もするでしょうね。

 

で、まずこっちも言っておいた方がいいですかね。

「怒り」という感情。

ここはあえてなんかの説明を引っ張ってくることはしないことにします。

ルサンチマンの説明でも触れられていますし。

 

人はなんで、なんの理由で、どういう時に、どういう対象に「怒る」のか。

そして併せて考えたいのはその怒りでもって何を成し遂げようをするのか。

(が、本当に意識的に考えられているのか?)

対象は?求める結果は?

 

個人的な短絡な暫定結論ではありますが、概ね怒りの向かう矛先はこれは困ったことに図式的に敵対する関係ではなくとも、怒りのエネルギーが志向するベクトルは「破壊」なのではないか、ということです。

何を破壊するのかは知りません。でも矛先に向けられたものへの力学は破壊です。

簡単に言えば「攻撃性」ってことですかね。

 

で、こっからが難しい。

哲学者の先生たちは「社会」という措定をした上で論を立てていらっしゃる訳ですが、現実は社会そのもの。

でね、攻撃ってのは別に他者に向かうばかりでもなく、自分自身にも向かう諸刃の剣でもある訳ですよね。

 

…なんか分かった風なことを言おうとしてたらはっきり言ってこんがらがって来ました(笑)

勉強から離れるとこんな有様ですね。

 

まあ、本当に言いたかったのは感情のコントロールの中でも一番リスキーかも知れないと思う「怒りの感情のコントロール」についてです。

怒りってのの難しいところは、時には感情発散にもなりますし、社会変革すら導き出す力にもなるかもな反面、自滅というのもセットであるまさに諸刃の剣なのではないか、とね。

 

今日はあまりコラムとか引用しないで頑張ってみましたが、なかなか難しいですね。

でも感情って、喜怒哀楽っていうでしょ?

生き物であり人間である不完全だからそんなもの完全にはコントロールできないのだけど、これをコントロールする術を考えたり体得したりしていくのも人間社会で生きていくってことなのだろうとすごく感じます。

 

「むかつくヤツには咬みつけ」なら犬猫でもやりますよ。

でも人間はそういう訳にはいかない。

 

その裏側にメンタル不調というのもあるかも知れんとも、ひそかに思うのです。あ、不調って弱る方です。

「自己肯定感が低い」とか、あるでしょ?

私、あれって攻撃性の裏返しなんじゃないかな、と最近思うんです。

だからあえて「ルサンチマン」って言葉を思い至ってみました。

 

抽象的な回になってしまい、すみません。

でも、興味ある方にはどうかなー?なんて。

 

以上です。