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現時点で感じる音楽療法の可能性と限界について

ども。

最近、どうも私の言葉がつたないのか無意識の暗黒面が表れるのか、お叱りを受けることもままあり反省してます。だいたい後で。

 

で、今日もこれまた極私見です。

 

音楽療法というのがあります。実際現在私もそのセッションに参加してます。

音楽療法に於いては基本的に音楽療法士という認定資格を取得された方が講師としてやっておられます。

 

さて、音楽そのものについて考えること。

よっぽど嫌な思い出がなければ「音楽きらい」って人自体はそんなに多くないんじゃないかとは思います。

ただ音楽といっても範囲が広うござんす。

マイルスもバタやんも、モー娘。もラドウィンプスも、ショスタコービッチジョン・ケージも等しく「音楽」であります。

ここで問題。

「音楽好き?」から発生する話題って、大体残念な結果になるような気がします。そもそもそれぞれが好きな「音楽」が違うから。もっというと体験が違うから。

で突如表題に戻りますが、そんなこんなで例えば高齢者の介護現場などで音楽レクリエーション的なことをしようとして「ちーちーぱっぱ、ちーぱっぱ、すずめのがっこの先生はー♪」とかいって楽しいと思っていただければいいですが「ふざけんなこの野郎」と感じるお年寄りもいるだろうなあ、てな想像に難くない訳です。昼カラで「湯の町エレジー」でも唸ってた方がなんぼかマシかとか。

表題における「現時点で感じる限界」ってのはその程度のもんです。

だから可能性もあります。

 

音楽療法が活用できる場所ってのは、たぶんかなりな範囲であろうかと思われます。

たしかに扱う講師というのはどの程度までその裾野をとらえるかとか色々問題はあると思います。だから未だに認定資格なのだろうとも思います。心理学的な見地とかも必要だし。

 

これくらい作業療法として有用なメソッドもないとは思うんですけど、先述した通り受ける側の嗜好ってのがこれくらい別れる手法もないよなとか。

 

よく言うけど「人間らしく生きる尊厳」みたいなこと言うでしょ?

音楽の思い出って、この辺りにすごく隣接してる人生のリソースな気もするのですよ。

 

「ちーちーぱっぱ」で「あら、子供の時以来ね。みんなとこんなに楽しいじゃない?」と思う人と「ふざけんな、こいつらと一緒にすんな!」と感じる人もいるだろうな、と。それは障害の種類とか年齢とかあまり関係なく。

 

もちろん指導する側は一定の伴奏とかの技術は必要とされるのは無論、とも思います。伴奏くらいできなきゃ、話にならんもんね。

とは言え、指導する側のリソースも無限ではありません。例えばお年寄りのカラオケリクエストにすべて応えられることは多分不可能だろうから。

とちらにせよ勉強は必要な立場ですよね。

 

で、現時点で思うのは

「あらゆる参加者のニーズに対応しようとする受容性」

もちろん受講する方もそれなりにオープンであれば理想的ですが、なにせ「療法」ですから

ベートーベンがー、とかツェッペリンがー、とか東海林太郎がー、とかなんでもいいんですけどそういう人に「音楽療法はつまらん」と言わせちゃったらセンセイも辛いだろうけど、それってニーズに応えられてないって結果だから。

等しく音楽の機能としての有用性を示す、これとても難しい取り組みだと思います。

だから使えるリソースは何でも使って、みたいな先生も多いのではないでしょうか。

 

私は幸せです。音楽療法のプログラムを通して少なくともそのくらいのことには思いを馳せることができたので。

 

多分「療法」と銘打つ手段でとても諸刃の剣になるのは理論に基づいてるメソッドだからということで受ける側が感じるかもしれない「上から目線の押しつけ感」かもしれないです。こと音楽だと「これは権威的な音楽の手法でちーぱっぱ」とかやられたら、ねえ。それが嫌だという人はどう感じますかね。

 

音楽はすばらしい。ですけど音楽の好みは人それぞれ。だから難しい。

 

そういうお話しを少ししてみました。

以上。