今日2発目。一つだけ。「居場所」について。

どもども。

時間も開けずに書きます。どうしても気になる感じがあるので。

 

私の友達のブログから。私のブログを読んでからの所感らしいので。

※あとコメントを書き込むことができないようなので、あえて自分のブログで言及せざる得ない、と。

 

以下です。

to-shi-tsu.hatenadiary.jp

 

とても重要なキーワードがあるなあ、と考えたので。

「居場所」「逃げ場」

ない。これがないと、辛い。まあ辛い。

 

このことを考えるに。

例えばいろんなデイケア施設があると思いますが、私の通ってるところは比較的「いろんな人がいるところ」です。

まあ、当たり前っちゃあ当たり前なのかも知れませんが、先にあげたキーワードが重要になるとあんまり「当たり前」とも言ってられない状況かとも。

 

「居場所」も「逃げ場」もない、って普通に考えてもかなり深刻な精神状態と思います。

 

そして、例えばそこで排斥される気分と言ったら、もうね。

 

私の通ってる施設に関して言えば「単に居場所を提供するものではありません。ある程度能動的にプログラムに参加するなり、自主判断で作業するなりしていただく状態でないと厳しいを思われます」と最初に言われました。

ということは、何を意味するかというと。。

「居場所」も「逃げ場」もないと、そもそもそういう方々もいるよね、ってことを暗に意味しているのだな、ということでした。

 

いろいろな立場の方々がいらっしゃいます。本当にいろいろな立場の方々が。

 

もし、です。その施設が「居場所」なり「逃げ場」の確保を前提にしていて、それに結果的に失敗しているのだとすれば、それは残念なことです。

 

ちょっとだけ言うと私の通ってるところについては本当にあんた病気なの?っていう感じの方も含めいろいろいらっしゃって、ある意味アグレッシブにさえ見える人もいます。アグレッシブさが病気要因なこともあるかも、ですが。

 

そう考えてみると、適切な施設の選び方というのも大切だよねえ、と考えざる得ません。

通所するまでにやはりというか、いろいろな施設を見学されてこられる方もいますよね。

結論としては「合ってなかったのかもね。」としか、傍目では言いようがないです。本当、結果論ですが。

yamiちゃんは辛かったでしょうが、施設との相性とかあったろうから(そこにいたむかつくヤツもそうかもですが)、だからといって、そういった施設の在り方自体を否定するには、どうなの?能わないかもしれないよ。と、今の自分は言っておきます。

世間に出れば、そりゃひどい会社だって、嫌なヤロウだって、それなりにいるでしょう。でも、かといって、デイケア施設なるものがそれらの全てから逃れる完璧なシェルターでもない、っていうことかしら。

合う合わないは、それこそ出会いですよ。しょうがない。

辛い思いをしたことには、同情します。あえて。

じゃあ、これからの出会いで一つでもいいことがありますように。

また飯でも食おう。食欲があるときに。

 

以上。