どうにか知恵を貸してくれ、という勢いで。

こんばんは。

ブログでは余裕かましてる風ですが、余裕なんて全然ありません。

最近もう何が何だかわからなくなってきた部分もあるので、
来月は取りあえず区役所の
福祉相談窓口に
相談に行きます。

 

おやすみなさい。

リハビリ日記から半年が経ちました。

こんばんは。

 

実は先週「半年経ちましたよ」ってお知らせが来たんですよね。

 

わかっちゃいたけど、今就労支援施設で自分のチューニングが大変な感じでちょっと捨て置いた感じでした。

 

感慨としましては

「半年か、早えなあ…」

「半年か、長いなあ…」

どっちも。

実は漫然とルーチンをやってる分には半年って割と早いだろうことは想像に難くないですよね。

でも長いな、ってのは行きつ戻りつがすごく激しいリハビリの身なのでやはりそこんとこは長いなと感じてます。

あと自分の「理想と現実」の乖離にやられまくります。

時間と言う基準があるだけにそこに沿えない自分にガッカリしたりするんですよね。

結論から言うと自分が想像しているタイムスケジュール通りには、まあ追い付きません。

なので今後のリスクマネジメントも必要になるかも知れない。

まあ「生きてりゃなんとか」って考えられるようになっただけでも進歩かも知れないですし。

 

あとこの半年余りにデイケア並びに就労支援施設に通って強く感じたことは

「本当にいろんな状況の方々がいらっしゃるなあ」

ということです。

うつで休職とか、生まれながらに発達障害とか、仕事の訓練とかいろいろ皆さんはどう感じられるか判りませんけど、確実に言える事は「皆そこまでそれぞれの人生を背負って歩んできて今がある」ということです。

こういった場所には精神保健福祉士なる、いわゆるソーシャルワーカーさんという存在があるのですが、そりゃーもう大変なお仕事と思います。

見るからに塩梅のよろしくない人から一見全然大丈夫そうな人まで基本的には問題を抱えている方々です。

そういう方々の先々の少なくともこれからのお仕事の先鞭をつけるために奔走していらっしゃるんですね。

そういう二つの存在を強く意識しました。

 

こと私の患っている双極性障害みたいなのは一見元気に見えるフェイズもあるので、割とそれが「障がい」って判りずらいことは多々あるようですが、私より少し若い方の話とか聞いても本当にいわゆる「エピソード(専門用語です)」は様々で。

ただそれを「障がいだからなのだ」とどれだけ対処していけるのか、ということに専門職の方々は時にムカつきつつも(笑)真剣に向き合われておられます。

 

仕事がうまくいかない、生活がままならない。

精神障害ってなんだよ?!」

って思われるかも知れません。

でも当事者だって判っていたり、だからこそ上手くいかなさに苦しんでいることもあるんです。

 

あまり多くは語れませんが双極の人は叱られることも多いと思いますよ。私見ですが。

だってやんちゃだったりするから(笑)

 

でもそれは本当に「障がい」のせいなんだ、と取り組むことがとても大切なんだな、と。

 

私の決めているリハビリ期間はもうあまり残されていません。

これを過ぎると本当に野に下らなければならなくなります。

だから焦らず着実に取り組んでいく必要があります。

 

現実的に言えば9月の時点で私が何等かの仕事につくことができなければ、故郷の熊本に引っ込むことも止む無し、かも知れません。

デッドラインです。

 

おやすみなさい。

 

作業を「自ら考えて出来る歓び」について。

こんばんは。

 

昨日、後半の「就職活動のスキル」みたいなことを言ってましたが、まだ時期が少し早いかなと思い先に譲ります。もっとファンダメンタルな話をしたいです。

 

突然すごい言葉から始まるようですみませんが

「生きる意味を分からない」とか「見失う」とかそういった局面すら、ある一定の精神障害の状態になるとあると言います。なんで「言います」って言い方をするかというと私自身も自分自身のコントロールが付かなかったりする局面もあるから、自分では如何ともしがたい部分という意味合いです。

 

昨日は作業→仕事→職業、あたりの繋がりの話をさせてもらったと思います。

で。

私自身はデイケア通ってまず「朝起きて施設通ってプログラムこなして帰ってくる」という、そういう生活的なリハビリから始まった訳ですね。

ここでも色々あるにはあります。

でも。

今大きく異なるところは「就労支援施設」というところは状態の程度の差こそあれ就労を目標にしてる方々が通所されているところなんですね。

 

で、私が着目かつ体感しているのがその作業ということなんです。

 

昨日さんざん説明したつもりもありますのである程度端折りますが、職業に貴賎なし、して多くの仕事は地味な作業の積み重ねで成り立っている。

 

私の通っている施設では「検品」というプロセスが非常に重要視されていることを体感しております。

皮肉にも私自身、アルバイト時代からこの方この品質管理の原点とも言えるこの工程はいつも付きまとっていました。

ちなみにですね、私学生時代に2、3年くらいか某港湾の倉庫で「荷物の数を数える」という仕事をしていた経験がありまして。

このおかげというか「数を数える」仕事の重要性をそんじょそこらの方々(すみません口が悪くて)よりどれだけ大切かは理解じゃなくて身体で知っているつもりです。

数が欠けたらシャレにならん商売って結構多いですよ?

その辺はオトナな皆さまには多くはご説明いたしませんが、ここを知らない方々もそれはそれでいらっしゃるんじゃないかと。

 

今日、改めてですがその「数を数える工程」ということにも工夫があることを久しぶりに感じたんですね。忘れていただけなのかも知れないけど。

多くても少なくても問題なんです、基本的には。

だけど「多い場合はいい」という状況もある。これは標準を確認してさらに確認しなければならない。一見無駄みたいでしょ?

でもここが作業を自ら考えてする、ということの仕事感だと改めて感じたんです。

これ責任者が「多い分にはいいでしょ」って言い放ったらどうします?

検数者のミスでマイナスのカウント間違いをしていたら、それは「多い」ことにはならないかも知れないですよね。そうすると結果的にあれ?どうだっけ?みたいなことになるのは明白だから、およその人には無駄に見えるだろうカウントのし直しをする。

こういうことを考えてする。

 

久しぶりにとても気持ちよかったです。数を数えるということが。そういう作業が、というか仕事が。

 

私は偉そうなことは言いません。

数を数える仕事に誇りを持てることにまた気が付けた。

よかったです。

 

あー。心地よい疲労感。

ケンミンSHOW観てから寝るかな?

 

おやすみなさい。

労働。作業を職業に結び付けられるか。反面、就職活動自体のスキル。

こんばんは。

前回はかなりやさぐれていたようで、申し訳ありませんでした。

昨今の自分の動向を振り返ると、どう考えてもいわゆる「躁状態」傾向であることは否めません。

周りにもご迷惑をおかけすることも多いとは思います。本当に申し訳ない。

とは言え、自分がこれを御することもなかなかそれこそスキルが必要であるだろうに、これが自分の自分に課した人生の障壁であるという皮肉になっています。

 

さて。

 

相変わらずコンプライアンス意識でしたためなければならんので、個人情報を始め施設を特定するにも能わぬ情報しか出せませんが。

 

現在2週目、私の通う就労支援施設は作業中心になっております。

私はそれが非常に重要だと決めて現在そこに通っている訳です。

何らかの症状や事情で作業自体が難しくなっている方もいるでしょうし、そこはそれなりにクリアできているけど他の部分で困難があったりとか様々な人達がこういう施設にいると考えていただきたい。

そういうところに通うようになって改めて感じたのは、私自身も仕事がままならなくなった以前に、きっとそれ以前の前提がままならなくなっていたろう、ってことなのです。

 

最近の特に民間の同様施設の中では社会スキルをとかパソコンスキルを、とか打ち出しているところも多いようなんですが、仕事というのは意識が全てにモノをいうので、そこを立て直さなければどうにもならんよなと。

 

忸怩たる思いで私自身も認めなければならないところですが、それを見失うに至る過程は様々でしょう。

ただ、障がい者であれなんであれ雇う方は戦力としてみなしています。

それが意味するのは「仕事」を「仕事」して理解して受け入れてやれるのかどうか、この人は?という点であることはやぶさかではないと考えます。

重ねて言いますよ。私自身もそれを見失った経緯があります。

 

でもね。

幸いなことに私は些細な作業も仕事として消化してきた経緯もあるからか、今ある内職的な作業労働もあまり苦にはならないんです。

単純作業が苦手じゃないという部分もありますが、一言言わなければいけないのはお仕事って「言われたことだけやっておけばいい」ことじゃないことをまだ私は、私の奥の方では忘れていなかったんだなという実感でした。

 

これは障害がどうという話に限ったことではないことは承知で偉そうに言う様で心苦しいですけど、多くの求職者が自分が認められる仕事や価値を感じる仕事やよりクリエイティブな仕事やパソコンでデスクワークや、なんてイメージするかも知れないけど、成果物が出来上がるまでの過程に物凄く地味な工程がいくつもいくつもあることは少なくとも何等かのお仕事に従事されている方はご理解のことでしょう。

ただ一つ私のケースなどで言うとそれを「見失う」っつーのもあるんです。精神障害なんかは特に。

それは時に辛いことでもあったりします。

「これは何のために誰のためにやっているのか。」

これが判らなくなるのはお仕事をするにあたって、結構致命的です。

少なくとも「自分のため」ということだけでも失わなければどうにかなる、んだけど。

それすら失うこともある。

 

で。

 

作業です。

単純作業です。

昔それこそ精神を病んでしまった先輩に聞いたんですけど、彼が務めていた会社の経営者さんが「切手貼るのも意味を見出して楽しんで仕事できるかどうか」みたいなことを言ったと聞いてなるほどと感心していたけど、結果その先輩は精神を病んでしまいました。

 

会社に入ってこう言われたことがある方がいるかも知れません。

「仕事なんか自分で見つけるもの」

「そんなこと自分で考えろ」

だったら会社に入らず起業独立しませんか?(笑)

まあそれは一理あるから極論ですけど。

 

なんか散漫になって来たので。

表題について言うと作業がままならないあるいは、プロセスの問題、コミュニケーションの問題、様々あると思いますが「作業」を通して仕事が成立するということを体感することを(初めての方は)覚える、(経験者は)取り戻す。

ここが重要だと感じています。

作業の延長が仕事であり、その継続性を保てるスキルを職業と言う。

 

あと注意しなければいけないのは「出来ないことがダメ」じゃないということをどこまで受け入れられるのか、ということもあると考えます。

ひとりで仕事をしてる訳じゃないんだからねえ。その件は別の機会に言及するかも知れません。

 

そして表題の後半ですが、長くなっちゃったので次回以降に譲ります。

 

では、サッカー観ないで早めに寝ますね。(笑)

おやすみなさい。

 

 

おい、これは極北なんだわなあ。

へ。

 

挨拶もそこそこに。

 

めんどうくせえんだよ(怒)

 

でもいいんだけど、ちょっとお話してみよう。

精神科デイケアという施設に通い始めて半年近くになり、更に就労支援施設と言うところに行き始めました。

 

でねー。

 

二つ。ある。思うこと。

 

全然大丈夫そうな人と全然大丈夫そうじゃない人の、切り分けを多分専門家がしている。

 

分け入る。

大丈夫そうな人に限っての「ダメな点」を見極めようとしている。

 

そんな感じなのかなあ。

 

そうなのよ。

大丈夫か大丈夫じゃないかなんて、自分が決めることじゃないんだってことを少なくともこの場でとても重い意味を持って試してくれているんだと感じている。

だってさ。前回言ったけど「シールを貼って剥がす」ということに、ちゃんと意味を見出さないとお仕事ってできないよね?っていうね?ってね?

そういうことから巻き戻す人生感。

 

あなた、朝起きて何してますか?

オクサンに怒られてしてる何かだけじゃなければいいですね。

オクサンもあまり怒るだけが能じゃないみたいよ。

どこかで読んだけど、男の人は放っておいた方がいいって。みたいっすよ(笑)

 

じゃ。また。

次のステージへ。「就労支援事業所」。しんどいぞこりゃ。

こんばんな。

 

私、折々に申し上げておりますがこのひと月超くらい乱高下が激しいみたいなんです。

いつもより物凄くちゃんとしてる時もあるかと思えば、悪夢にうなされるくらい体調自体がおかしな時もある。

ジャンプボードのまさに一歩手前で仕方ないのかね、とも考えるんですがちょっと体力を奪われるのは厳しいです。歳も歳だしさ。

 

で、ようやくこぎつけた形になりました。

デイの担当さんも納得してくれたんで。まあまだまだ難があると言えばそれはそれなんですけど、色々と事情が許さないもんで。

 

で、今日初日だったんですが。結果から言うと「まーしんどかった」ですわ。

そもそも前日が早朝覚醒があってうんうん唸った挙句やっぱりちゃんと眠れない。

たぶん相当緊張したんだと思います、ってのは朝っぱらから忘れ物して大狼狽するとか。まんまと。

でも眠くならなかったから不思議。張りつめていたのだろうな。

 

「なんとかかんとか施設」みたいのが色々あるので皆さんいまいちピンとこないところもあると思うんですけど、ここはいわゆる障碍者向けの作業所とは違ってあくまでも普通?に仕事したいよって人を支援する場所なんですね。

最近は民間企業でも特色を押し出した支援事業所があるのですが、私の行くことになってるところは1か月限定作業中心の短期評価コースというもの。

要は「あんた、ちゃんと仕事出来る状態かね?」みたいなことを客観的に評価されるんだと思います。「思います」ってそれじゃダメだろと言われそうですが、専門的なことは判りませんものね。

 

で、ともかくここ数年まともに正味6時間あまりの仕事ライクな「作業」をいうものをしてこなかった、並びに調子の乱高下もあってまあともかくしんどかったですよ。

 

自分でいうのも変ですけど、単純作業て割と苦手ではなくてですね。

私、仕事ってか作業って自分が面白味を見つけて取り組むべきものでそれこそ「職業に貴賎はない」じゃないけど、おおよそのお仕事ってのはそういうことで成り立ってるという理解と自負くらいはあるんです。

 

だけどまあいろんな理由の元「出来なくなっちゃった」現状があってのリハビリな訳ですよね。

 

今日体験した中で、面白いってかある意味残酷でもあるなあってのが「練習」ってプロセスがある訳です。やはりというか突然実戦投入はされない訳で。

昔さあ、よく自分で事例に出してたけど一番酷な作業って「意味を見いだせない」ものなのね。俘虜の収容所とかで「穴掘らせて、またその穴を埋めさせる」みたいな。

練習ってそういうことだから。

貼ったシールを意味なくまた剥がすみたいな(笑)

いや、意味はあるのねここには。練習だから。

 

なんというか、みなさんお仕事に尊厳を感じながらというか人間として生きていくにあたってやっぱり尊厳みたいな感覚って必要だと思うですけど。

だから辛い仕事だって「意味があるんだ」「価値があるんだ」「自分には能力があるんだ」って、こなして行くでしょ?

 

これ、まるっきり失ったに近い状態から再構成するってなかなか、いやかなりしんどい作業ですわ。

もうそもそも数年前「あなたの観察能力は虫以下です。いや虫に失礼なレベルです」とか「そもそもあなた、計画立てられないってどういうこと?」みたいなのことをマジで判定された身です。

でもさ、考えてもみてよ。

そんな、そりゃその時は虫以下判定だったかもだけど、それまでの数十年なんとか仕事して生きてきた訳じゃん。

 

人間が誇りを取り戻すって、こんなに大変なんだ。

 

そりゃ病気も結果放っておいたからこういう事態になったんだろうし、歳もとったしね。

 

でもそんなことで憂鬱になってる場合じゃないことも判ってる。

どんな名選手でもあっという間に「戦力外通告」されるシビアなプロの世界だってある。

いちいち腐ってられない。

けどもよお。

一応、腐るよな(笑)

 

時々精神論を言う人もいるさね。「お前にはやる気と根性が足らん」とか。

いいですよ、別に。そう思ってたらいいじゃないか。

でも問題は、その「出来ない」のをどうするか、っつうことの方だもの。

うるさく言うからって、その人が責任とる訳でも何でもないから。悪いけど。

 

因みに言うとですね、私何故この施設選んだかというと、障がい者雇用でも「パソコン勉強したい」とか「事務職に就きたい」とか言う人、最近割と多いらしいんです。

でも、私はそこじゃないと考えてるから。

 

これまでの仕事がらITがうんちゃらかんちゃらみたいなことの周辺にはいたので、そんなことが必要と思えば「自分でやらないと」意味ないじゃんね。

事務ったって、その会社それぞれでやり方もマナーも全然違うのが会社の常識というものです。

 

ともかく「シール貼って剥がして」みたいなことから始まって、何故それをするのかを理解できることと、それに耐えうる体力と根気がないとどうにもならんべ。

 

これから一か月の「修行」が始まります。

 

おやすみなさい。

アディオス、アミーゴ。

 

精神障害と「困ったちゃん」。双極性ヴァージョン。

こんばんや。

 

ここんとこ早朝覚醒が続いています。最初は抗生物質の影響で睡眠剤が効いていないのかと思ったら、どうもそれだけでもないのかな。

午前2時から3時、4時とかに目覚めます。

これまでは力技で二度寝してたけど、今日はどうにもダメで5時にはもう家をでました。でも疲れるわー。

 

ということで、表題。

最近NHK発達障害の特集があったらしく(すみません。観てませんが)話題になっているようで。

www6.nhk.or.jp

という訳なので発達障害の細かいことについては説明を省かせていただきます。

 

私も施設に通うようになって様々な発達障害圏の方々とお会いしてますが、本当に様々としか言いようがなく、ただ一様に言えるとすればコミュニケーション面において「何らかの」差異を感じられるということでしょうか。

良いとか悪いとかじゃないんですよ。差なんですよ。

突っ込んで言うなら、あえて「一般的」と言いますが世間で求められてる空気読むとか同調圧力とかそういう埒外にある感じとでも言えばいいでしょうか。

だからまあいわゆる「社会性」みたいな視点でとらえる時「困った感じ」が往々にしてあるというニュアンスでしょう。

 

社会性って言葉も改めて考えると面白い(可笑しい訳ではないよ)もんで、「あの人はああいう人だから」って一度受け入れられてしまえば問題なかったりもするんだけど、時折適応できないことが本人にすごく不都合をもたらす場合もあるのね。

 

「あの人は変わってる」

「あの人は難しい」

「あの人は判ってない」

「あの人は付き合いづらい」

まー、しょうがないでしょうが。周りに合わせられないんだもの。

この辺りは発達障害の方について特に言われがちなことです。

 

で、表題です。

発達障害の方の「困ったちゃん」度というのはNHKの当該番組を観て「そういうことなのか」と理解された方もちらほらいらっしゃるでしょう。

 

方や私も罹患している双極性障害っつうのがあって、改めて言うまでもないとは思いますが躁と鬱を繰り返す疾患なのねとは漠然と捉えられるけど、どうなの?

近年鬱状態についてはなんとなーく理解を得られてるぽいかなとは思いますがじゃあ

「躁」ってなあに?

って、意外とわからんものでしょう?どう?

 

学会の出してるいわゆる教科書的な資料が以下になりますので、もしご興味があればご一読あれ。

http://www.secretariat.ne.jp/jsmd/sokyoku/pdf/bd_kaisetsu.pdf

この中から「躁状態」についての抜粋は以下の通り。

 

1) 気分が良すぎたり、ハイになったり、興奮したり、怒りっぽくなったり して、他人から普段のあなたとは違うと思われてしまう

2) 少ししか眠らなくても平気になる

3) 自分が偉くなったように感じる

4) いつもよりおしゃべりになる

5) 色々な考えが次々と頭に浮かぶ

6) 注意がそれやすい

7) 活動性が高まり、ひどくなると全くじっとしていられなくなる

8) 後で困ったことになるのが明らかなのに、つい自分が楽しいこと(買い 物への浪費、性的無分別、ばかげた商売への投資など)に熱中してしまう

 

以上。

 

これ、かなりマイルドな表現になっていると思いますけどこれだけでも結構「困ったちゃん」度は高いと思いませんか?

想像してみてください。

実際にこういう面倒くさいヤツが身近にいて実迷惑をこうむる場面というの。

一応双極性障害には重度の躁とされるⅠ型と軽躁と言われるⅡ型というのがあるのですが、受け止める人の度量によってもかなり幅があるんじゃないかと考えています。

例えば私も警察沙汰や病院沙汰があって「困ったヤロウ」だと即判断されてたら精神病院に叩き込まれていたと思います。幸か不幸か私の周りの方々は実に寛容であったというべきと考えます。

 

私ね。極身近な存在にも「あなたのソレは果たして病気のせいなのか、性格のせいなのか」と問われたことがありますが、そんなもん本人にも判らんて。

そしてというか反面というか更に困ることに、私の知ってる友人レベルの存在にも双極性障害を認めてる人もいるんですけど、躁状態の時に限って往々にして「それは病気のせいじゃない」とか「今自分の状態は悪くない」とかひどいのは「もう治った!」とか勝手に言いだすヤツがいてですね。

個人的には不都合を病気とか障害を理由にするよりよっぽどタチが悪い気がするんだけど。

 

「困ったちゃん」は誰かしらに何かしらの迷惑をかけるが故に「困ったちゃん」な訳だけど、実害をこうむる人とそうでない人でも見方が少し違うようでもあるのかなあ、という実感もある。「被害者」としての経験もあるので。

だからなおさら自分の「困ったちゃん」をコントロール、ってのが気が気ではない。でもそれが難しいから障害ってお話にもなってるという。

 

当該番組でもおよそ触れられているだろう(想像に難くない)、障害を持っているからといって能力がない訳ではないという論もあろうかとは思いますが、障害とされるが故に何か決定的に欠けていることも片方ではありありな訳です。

そのどこをみるか、というのもあるでしょう。

あとやっぱり何しろなんらかの「困ったちゃん」だから、それはすり合わせるしかないだろうと。

 

鬱病とか双極性障害のことを「気分障害」っていう言葉でいうんですけど、何故感情の障害ではないのだろう、と当事者として思うことがあります。

聞いてる方もどうですかね?障害とはいえ気分で左右されたらたまったもんじゃないと思いません?

 

私のもうすぐ70になる母親につまびらかに相談したときに、最初全然判ってなかったみたいだったけど、いい歳をした息子がそういうことになったというのを一生懸命理解しようとしたのでしょうか。言ってくれた挙句の言葉は

「今は多いみたいね。でも誰だってそういうことは病気じゃなくたってあるとよ(熊本弁)」

うん、そうだよ母ちゃん。でもな「程度もん、ってのがあるとよ」と心の中では思いました。

 

この曲の冒頭のしゃべりのサンプリング部分でも言ってます。

是非耳を傾けてみてください。

www.youtube.com

 

まあね。そうは言っても本人も身をよじるほど困ることもある時もあるんよ、ってことだけ言い添えて今日は終わりにします。

 

以上。おやすみなさい。

今日はよく眠れるといいなあ。